上野 ひろみの音楽人生♪第2章♪

こんにちは!

みなさまお待たせいたしました。

前回から引き続きのネタで
お送りさせていただきます。

 

今回は


"上野ひろみの音楽人生 第2章"



第1章では
13歳の誕生日に
フルートを買ってもらったところまでの
お話でした。


さぁ!いよいよ本格的に音楽の世界へ〜

ここからは急展開の嵐です。

 

 

~第2章~

 


学習塾をやめ、フルートを習い始める


塾に行くのがあまり好きではなかったわたし。

親に説得に入ります。

「ねー、塾の代わりに通信教育やるからさ、
フルート習いたい」

うん。
フルート を習いたいってのはわかる。
だけどなぜ塾をやめる?

今思うと、
塾はただ辞めたかっただけじゃん
って。

だけど、
なんかこれはすんなりオッケーされた記憶。


が、通信教育なんぞ
わたしが続けられるはずもなく、
これはすぐにやめることに。


こうして習い始めたフルート 。
13歳、中2の夏。
楽譜、まだいっさい読めません。


最初のフルートの先生に
音楽の基礎も教わりました。


そして
じわじわと気付き始めるのです。


"フルート ってお勉強より楽しいじゃん"


"フルート で受験したいかも"


"音楽の勉強をしていたい"



13歳、たしか中2の冬くらいだったか。

まだフルートを始めて
何ヶ月かしか経っていません。
ようやく楽譜が読めるようになった頃。


‘‘音高(音楽高校)行きたい!‘‘


なんておそろしい子でしょう。
何もわかってないって本当に怖いです。


両親を説得し‥‥
フルートの先生を説得し‥‥




そして先生にまず言われたのが、

「その楽器、、、
さすがに受験するにはちょっと、、、」


例のイチキュッパの楽器です。。。。。


「え!これじゃダメなんだ!」


って、
楽器の質の重要さすら、
この頃のわたしには理解出来ていなかった。


今だったら絶対、
生徒さんにはオススメしない楽器です。


一本目のイチキュッパのフルート は
あえなくここでお別れです。
さすがに短命でした。


2本目を総銀製のフルートに買い替え、
そこで気付きます。


わたし、このイチキュッパの楽器で
よくぞここまで頑張ってこれたなと。

無理に力を入れないと音が出なかったのは、
楽器のせい。

たくさん練習しても音がよくならなかったのも楽器のせい。

わたしのせいではなかった。

楽器って大事です!



さてさてこうして音高受験への準備が始まります。


今までで一番頑張ったとき、
ピアノとの出会い〜


さてみなさん、
"音高の受験”って
どんな試験かご存知ですか?

 


わたしが受験した音高は、

・フルートの実技試験

・ピアノの実技試験

・聴音(音を聞いて楽譜に書き取ること)

・新曲視唱(初めて見た楽譜をすぐに歌うこと)

・コールユーブンゲン(声楽の教則本)


の科目がありました。


約1年ちょっとで
これらをクリアしなければいけなかった。


ここでようやく知るんです。

ピアノはなんでもセットだということを。
声楽専攻でも管や弦専攻でも
もれなくピアノはついてきます。


さぁ、お待ちかねのあの楽器の登場です!

 

はじめましてピアノさん♪



これまで、鍵盤楽器といったら
鍵盤ハーモニカしか経験がないわたし。


果たして受験までに
両手で弾けるようになるのか。


フルート と楽典を
フルート の先生に、


ピアノとソルフェージュ(聴音と歌)を
ピアノの先生に、


教わりました。


やっと
楽譜が読めるようになったレベルのわたしを、

音高受験をするまでにして頂いた先生方に
本当に感謝です。

わたしはもう必死でした。
今までで一番頑張ったときだったんじゃないかと。


そして音高に合格します。


友人
「高校どこ受かったのー?」


わたし
「音楽科の高校ー!」


友人
「え!嘘でしょ?ピアノやってたっけ?」

って。

そりゃそうですよ、
わたし、
ずっと楽譜も読めない人間だったんですもん。

まさかわたしが
音楽の道を極めていくだなんて、
誰も想像できなかったと思います。

 

 

そしてこの後、

音高へ入学と同時に

最初のフルートの先生とお別れになるのですが、

 

その最後のレッスンでいただいたのが

この写真の絵”

 

”つみかさねのまいにち”

 

先生らしい優しい雰囲気の絵。

 

以来、この絵は

わたしの練習にずっと付き添ってくれています。



こうして音楽の世界へ〜


音高時代


もちろんみんな専攻する楽器があって、
わたしはフルートで入学しました。

やはりほとんどがピアノ科で、
フルート科はわたしの学年で数名。

音高ってどんな所?

っていう話はまた別の機会に。

 


フルート 、ピアノはもちろん、
ソルフェージュや
合唱、吹奏楽…

音楽にどっぷり浸かった3年間でした。

わたしがいた音高は
音大附属の高校だったので、
必然的にその音大へ行く子が
ほとんどだったのですが、

このあと、
あえてわたしは別の音大へと受験をします。

「せっかく附属なんだからそのまま行けばいいのに」

「なんでわざわざまた大変な道を選ぶの?」


いろんな方に止められました。



いろんな理由があり、

その中でも一番の理由は、

"もっと周りの刺激を受けて頑張りたかった"

から。


決して学校が嫌だったわけではなく、

むしろこんなわたしに
たくさんの演奏する場を与えて下さった、
あたたかい学校の雰囲気が大好きでした。

ですが、自分自身のために
別の音大へと進みます。


そして、
音高の時と同じような
受験科目の試験を受け、
(内容ははるかに難しいです)

運良く合格します。


音大時代


華の音大生!

っいや〜学校遠かった。。。


この学校を選んだのは自分だし、
文句は言えませんが、
埼玉の飯能のちょい手前。
山の中に校舎がありました。

わたしたちの頃は、
1,2年はこの山の校舎に
行かなくてはいけなく、
片道2時間以上かかりました。

3,4年は東京の校舎になったので
だいぶラクでしたが。

 


そしてこの音大。
とてつもなく学生数が多い。

ピアノ科にいたっては数えきれないんじゃん!

ってほど。

で、授業の空き時間は
みんな練習室で練習するわけなんですが、
人口多すぎて練習室空いてないんです。。。

だから朝早〜くに
練習室をゲットしに行くわけなんですが、
寮暮らしの人はまだしも、
ウチ片道2時間超えですから。。。

始発バスに乗っても
厳しかった。

 


で、吹奏楽やらオケやらにのれる人は
なんでも成績順で決まります。


これ、おっそろしいですよ〜〜

成績順っていうのは、
フルート の試験での成績順!


でもわたしはこういうの結構好き!


燃えるタイプです。


這い上がって這い上がっていきたいヒト!

こういう刺激がないと
必死になれないタイプなので。

頑張った分、
自分に返ってきたときの
あの嬉しさ、達成感はたまんないです!

 



そしてこの頃から、
"教える"という、
ちょっとしたお手伝いをはじめます。

小学校でお世話になった音楽の先生から

お声をかけて頂き、
小学校の吹奏楽指導をやっていました。

 


4年間の音大生活。
音高以上に、
たくさんの音楽に触れ、
いろんな経験をさせて頂きました。

 


さて、第2章!

ひとまずこの辺で区切ります。

音楽の道に進むにあたって、
何もかもが周りよりも遅かったわたし。

でも無事に音大卒業までこれました。


次回、第3章は
このあとのこと、
そしてまとめに入りたいと思います!!

さぁ!
"上野 ひろみの音楽人生 第3章"

次回もどうぞお楽しみに〜〜

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